日記

LA版ともだち(?)のワ

昨日友達になった子と今日飯食いに行った。難しい...

ギターの音色

今夜ルームメイトの1人と一緒にビールを飲んだ。
いつもの様にパティオで1人ギターを弾いてるところへ俺がビールを持っていくと、そいつはお礼にと歌を歌ってくれた。ルームメイトになって4か月経つ今では日常会話を交わす程度で一緒にハングアウトする事も殆ど無い。しかし何故か今日は普段姦しく聞こえるそのギターの音を聞いて一緒に飲みたくなった。そんな時ってないか?

飲みながら色々と話したが、取り立てて特別な内容の話だったわけでもない。だが共有したその短い時間は特別なものだと思う。

普段はルームメイトの1人として毎日顔を会わす存在だが、時間を共有していると感じる事はない。そいつと特別仲が良いわけでもないし、人間は日常的に接する物事や周りの人間に対して慣れ過ぎてしまって注意を向ける事怠ってしまう時がままある。その時間に生きているというよりはその時間を通り過ぎているって感覚。
これが日常的な生活ってやつだと思う。

だがその日常生活を生きている中でも、ふとたまに感じる時がある。いつもより星が奇麗に見えたり、花の臭いが香しかったり、風が気持ちよかったり。
がなり立てるギターの音がメロディックに聞こえる時もある。

それを感じた時には平坦で代わり映えの無い日常の中に特別な一時を見つける事ができる。いつもと違い目に映るもの全てが生き生きとして見え、目の前にいる相手の生命の力を感じる。相手に対して「気持ち」がちゃんと面と向かっているて言ったらいいんかな?
同時に自分自身にも向かい合う、そんな時分かるんだ「今という時間を俺も生きてるし、お前も生きてる」って事が。
そういった瞬間々々をどれだけ多く積み上げていけるかが本当の人生の喜びなんじゃないかって思う。

人間死ぬ瞬間それまでの一生が走馬灯の様に蘇って見るって言われてるけど、もしそうなら特別な時間を多く過ごす事ができた人の方がそうでなかった人よりいい人生が送れたって事になるんじゃないかな。同じ80年間生きて死んでも最後に見る走馬灯の映像が濃い内容の2時間長編映画か、それともかるーい感じの30秒CMどっちがいいかってことなら俺なら迷わず映画を見る人生を送る。そして最後に「良かった、楽しかったな」って喜びながら見終えたい。

その特別な瞬間の1つを過ごす事ができた今日という日はよかったと思う。今夜聞いたこいつのギターの音は聞けるかな?
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